謎の毒親

著者 姫野カオルコ

「毒親」という言葉は、「毒になる親」という本から始まった言葉だと思う。この本を確か、15年くらい前に読み、まさに自分の親のことだと思った。そんな人はたくさんいるのかもしれない。

姫野カオルコは知り合いに勧められて読み始め、しばらく夢中になって読んだ作家の一人だ。純愛小説もあるし、泣ける話もある。「昭和の犬」など、感動してしばらく放心状態だった。

エッセイなどもおもしろくて、笑ってしまうところがたくさんある。ふり幅が広くて、楽しい。

著者の家族の話について書かれた記述を読むと、かなり変わったご両親だったらしい。「謎の毒親」は著者の実体験をもとにした小説だ。

初めのうちは、へんな事柄だけど、

とくに深刻でもなく、変わった親がいるものだなあ、くらいで読み飛ばせる。中には声を出して笑ってしまうほど滑稽だ。ところが、読み進めていくうちに滑稽じゃ済まない状況が明らかになってくる。語り手の「ヒカルちゃん」は、相当過酷な家庭で育っているのだ。

家の中の様子は、一般的に思うほど一様ではない。それなのに家族の風景と言って思い浮かべる光景はけっこうステレオタイプだ。父親不在の家で育った私でさえそうだ。家という閉鎖空間では、そこの構成員でない限り絶対に見られることのないものすごく秘密の空間だ。

何気ない親の一言、言葉でない自分に向けられた親の目つき、しぐさで子供は敏感にいろいろなことを感じ取る。成長期の子供はそこからさまざまなことを学ぶ。親からの愛情もそのひとつだ。

私は、ずいぶん長い間太ることが悪いことだと思っていた。それは、たぶん幼児のころの体験のせいだと思っている。

母と外出していたある時、たまたますぐそばを女子高校生が通りかかった。制服姿だった。その高校生が通り過ぎた時、突然母が私の肩をつついてこう言った。

「まあ、見なさい、あの高校生、脚が太くてみっともない。ほんとに嫌ねえ」

小学校に上がってもいない私には、その高校生が太っているかどうかよくわからなかった。母が太いという脚もほとんどの部分がスカートに覆われているからよく見えない。けれども、太る、ということが母に蔑まれることなんだというのは強烈に印象付けられた。

自分自身が高校生になった時、私は成長期らしく、横に充実する時期があった。それまでやせていた私は急激に体形が変わり、焦った。太りたくない、痩せたいとしきりに言う私に母は、「○○校の生徒みたい。見かけばっかり気にして。程度が低いね」と嘲った。

○○校というのは実家の地域に昔からある唯一の私立高校だ。普通の子は、地域に2つある県立高校か家の商売によって農業高校か商業高校に進学する。それらのどこにも行けないどうしようもない子供の行くのが○○校という話に当時はなっていた。

実際に○○校に通う人は周囲にだれもいないのに、母は勝手に「○○校生は程度が低い。」という。母が常日頃太っている人を馬鹿にするから、だたそれだけの理由で太りたくない、と言っていただけなのに、突然存在していない人のようだとばかにされ、しかも何の基準があるのかは知らないが、「程度」が低いという。

このような理不尽な目に絶え間なく遭わされるのが毒親をもつ子供だ。

「そんな小さいこと」と言われる。大人になってみれば、母の言動が様々な面からおかしいと気づく。けれども、唯一無二の親からの言葉、しかもまだ体験の少ない子供にとってはそれが全世界のすべてだ。他人や物事に対する勝手な思い込みだけなら害はない。どうしたって子供の方も他の人や自分自身が見聞きしていって事の真偽に気づいてゆく。つらいのは、親の自分への攻撃だ。

こうした親は子供を批判し、決めつけ、糾弾する。子供がどういうものが好きでどういうことが苦手なのかなんて、興味がなく、自分の都合でしか見ていない。しかし、親の方の都合のいい子供は存在しないから、子供はどんなに頑張っても親に認められることはない。

私は、集中力がある。母の言語では「しつこい性格」

私は、妹とけんかをする。母の言語では「お姉ちゃんは底意地の悪い人間」

私は父に似ている。母の言語では「人間じゃない」

私が仲良くなる友達は一人残らず嫌う。しかも、「あの子だけは嫌いよ」と毎回言う。

私が友達からもらったものを勝手に捨てる。「あんな薄汚いもの、家に置けないでしょ」と言う。小学生の作ったものだ。こぎれいなわけがない。でも、私は嬉しくて仕方なかった。大事にしていた。

まあ、枚挙にいとまがない。この小説のエピソードの一つ一つに「うちのパターンでは」と言いたくなる。

ところが、終盤になって「これは、うちにもないパターンだ…」というくだりが出てくる。そして、「ヒカルちゃん」の体験してきたことがここで記されていることばかりではないことが分かる。

個々の事件は子供にとって相当しんどいことも含めて、他人にとっては単発的な事柄だ。しかし、子供にとっては日常だ。毎日、不条理の世界だ。精神的に責められ続けると思考力は下がり、生きてるだけで精いっぱいで意欲とか積極性とかはゼロになる。

それでも、子供の生きるチカラはなくならない。自分自身の巣作りをする年頃になると、全身全霊で親から離れようとする。それすらできない子供は、親とともに朽ちるしか道はない。

この本の帯に書かれているように「行き場のない親への思いが救われる」のだろうか?私はそうは思わない。自分ひとりじゃなかったんだ、と思うだけだ。

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