茶色の服の男
私が生まれて初めて読んだミステリーがこれだ。アガサ―クリスティーにはまったのもこれを読んでからだ。 当時私は小4だった。母が父のもとを突然でて、実家のある九州に引っ越した。近くには母の親戚がいて、母の妹の家もそうだった。この母方の叔母の夫、つまり義理の叔父さんが読書好きで、アガサ・クリスティーと星新一の文庫本をほとんどすべて持っていた。叔母の家に行くたびにそれらを借りて読みふけった。 母親の実家だが、それまで暮らしたところとはまるで違う。特に学校が違っていた。毎年クラスの何人かは転校していったり転校して来たりが当たり前の学校ばかりだったのに、九州の田舎の学校では私が創立以来初めての転校生だった(らしい)。しかも一学年9クラスのマンモス校から、一学年1クラスの学校だ。つまり、クラス替えを一切してこなかった連中。4年生にもなって!言葉もまるで違うし。要するに超絶田舎者の集まりだ。 ものすごく、孤独だった。そうじゃなくてもそれほど目立つ方ではなかったし、通知表にはいつでも「おとなしい」という単語が載っていた。まるで外国に来たような気がした。 親戚連中にもまるでなじめなかった。 その中で、この叔父さんだけが優しかった。忙しそうなのでそれほど言葉を交わしたわけではないが、ミステリに興味を持った私に自分の本を片端から貸してくれた。今でも本棚に並ぶハヤカワミステリ文庫の赤い背表紙を思い浮かべることができる。紙袋に好きなだけ入れて持って帰っていいと言われた時のうれしさ。 その中で、これが一番最初に読んだ本だったと思う。かれこれ40数年前だ。 クリスティーの小説がイギリス発であることに当時は全然気が付いていなかった。ツッコミの足りない私は、どうしてクリスティーの小説の人物たちが当たり前みたいにインドにいたり、やたらと軍人や貴族の名前が出てくるのか全く考えていなかった。 しかも、本書ではミステリーのだいご味もそれほど際立ってはいない気がする。話の展開がだいぶご都合主義だ。主人公のアンに都合よすぎ。 まあ、でも小説だし。それでも、どうしてそんなにクリスティーにはまってしまったのだろう。 これはミステリと見せかけて、実はハーレクイン・ロマンスなんだよね。 強くてワイルドでイケメンなんだけど、寂しがり屋。最初は反発しあっていた二人なのだが、ある時突然愛し合っていることに気が付く! ああ、もう安っぽいなあ。しかし、そこにダイヤモンドの原石の盗難事件(正確にはすり替え事件)とか、国際犯罪組織とか、南アフリカの独立運動とか、いろいろと絡ませて、舞台はロンドンからケープタウンへの豪華客船。主人公のアンは父を亡くし文無しのはずなのに、大金持ちの有閑マダムや国の要職を務める貴族のおじ様などから気に入られ、ディナーやダンスパーティーなどに当たり前のように参加する。絵的に十分魅力的。 いやあ、今回読んでみて、ツッコミどころが満載なのに驚いてしまった。 まあ、でも小4の孤独な少女が「赤毛のアン」を卒業して、クリスティーに進んだことはよくあることではないだろうか。これを読んだときは、主人公とヒーローのハッピーエンドに満足していただけだったが、それ以降は殺人事件の意外な動機にはまっていく。それ以上にはならなかったんだが、現実逃避としてはよかったと思う。 親戚の中で、この叔父さんが一番先に亡くなった。クモ膜下出血での急逝だった。
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