腰痛物語④

幼子を抱え、専業主婦人生を続ける。共働き世帯は、自分の周囲にはそれほど多くはなかったが、ほとんどの知り合いは結婚前は外で働く経験を持っていた。それでも、乳幼児を預けてまで働くのはちょっと…という人がほとんどだった。

家に居ればいいのだから、楽でしょ、というのは甘い。乳児と幼児を抱えていれば、用事はひっきりなしだ。主に汚物処理。下からの排せつ物はもちろん、上からもいろいろなモノが出てくる。小さな子供の世話をしていると、中腰の姿勢がほとんど。しかも乳児がいるから重さ4,5キロのものをいつも抱えてながらの動作だ。もう、腰痛は当たり前になってきた。あまりの忙しさに痛みも忘れる。それでも時折どうしようもなくしんどくなって、時間を見つけては整形外科に行ったり、整体に行ってみたり。

このころ、私は病院に行くのが妙に好きだった。どうしてかと言うと、自分のことで行ける唯一の場所だったから。診察の間、医師も看護師も自分の言うことを聞いてくれる。当たり前なんだけど。そして、私のためにいろいろと用意してくれる。薬とか、治療とか。こんなレベルの低いことでちょっとうれしくなっていたりした。子育ては、ほんとうに大変だ。

子供が幼稚園に行き始めたころ、地域のダンスサークルに入って、エアロビクスを再開した。メンバー自主運営の公民館の1室を借りて週1,2回行われる。久しぶりにそんなことができて、本当にうれしかった。下の子が幼稚園に入った時は、数年ぶりに一人の時間ができて、感動した。

数年間は週に1,2度のエアロビクスをするだけで、腰痛も小康状態。まだ30代。その間、夫の仕事でアメリカの某州に1年間滞在したが、その間もエアロは続けていた。

このころの腰痛はストレスがひどくなるとともに痛みが増した。引っ越しなどの急激な環境の変化があると、痛みがひどくなる。アメリカで借りたアパートに住む高齢の女性に腰痛持ちだとこぼしたところ、ハリ治療を紹介され、行ってみた。中国人が経営する治療院で、これがなかなか良かった。こういうサロン的なところに行ったことがなかったので、おっかなびっくりだったが、物珍しくて面白かった。とっても不味い漢方薬を処方されたのだが、その不味ささえも体にいいような気がしたものだ。

合衆国に向かう少し前に一軒家を購入していたのだが、私はその家の住所を両親に知らせなかった。もう縁を切ってやる、などと意気込んでいたわけではない。とにかく接触しても不愉快なだけだったから、なんとなく嫌なことは先送りにしていただけだ。母と離婚していた父は、とっくの昔に新しい妻を迎えていたし、母も、自分から私に連絡したことはない。私が入院しても結婚しても出産しても向こうから様子を聞いてくることなんて、一切なかった。

いや、一度だけしつこく連絡してくることがあった。それは、母がどういうわけか小さい会社を立ち上げて、その設立者の一員に私の名前が欲しいと言ってきた時だ。私は、本能的になんだか嫌な気持ちになった。名前を貸すって、どういうこと?しかも、私に実印を作って、私の知らない人に送れ、という。そんなバカげたことがあるか。

のらりくらりと、しているうちに母はそのことを言わなくなった。会社は作って小さいながらも自分のお店を出すことになったらしいが、利益などはなかっただろう。ほんの数年続けただけで店じまいした。特に借金を残したわけではないけれど、他人に実印を渡せだの、信じられないことを要求してくる母親に心底嫌気がさした。もうこれ以上かかわらないようにしないと、私の夫や子供たちに迷惑をかけることになるかもしれない。

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