腰痛物語③

学校も無事に卒業して、社会人になれた。まだ20代。時代はバブルの余韻が残るころ。今でいうところのホワイト企業に勤めることができたのと先輩女性社員の皆様のおかげで年休も生理休暇も取り放題。でもそれなりにパワハラもセクハラもあった。何しろ大学がそうだったし。

元気に過ごしてはいたものの、高校生の時に痛めたひざが半端なく痛くなった。しょうがないから整形外科にかかり、言われるままに手術を受けた。

一人暮らしで病気やけがをするとかなりつらい。しばらく留守にするから一応実家の母に連絡したら、頼みもしてないのに、「あたしは仕事があるから行けないからね!」しかもそれを嬉しそうに言う。初めから期待なんかしてないし。なんで行けないことがそんなにうれしそうなんや。引っ掛かりを感じながらも自分で何もかも用意して入院した。

手術は無事に終わったし、予後も悪くなかった。でも運動は続けるようにと医師から言われた。ただし、ひざをひねるような動作はしないように。例えばスキーなどはあきらめなさいということだった。

そこで始めたのがエアロビクスダンス。スイミング教室で知り合った友達が、エアロビクスはひざをひねる動作がないから、きっとできるよ、と誘ってくれたのだ。

これが、思いのほか楽しかった。結婚して職場も住むところもかわるときに、初めてのエアロの先生が「せっかく運動する習慣ができたのだから、続けてね」と言ってくれた。運動慣れしていないことがまるわかりだったのね。

めでたく結婚、妊娠、出産、と進むのだが、妊娠中から腰痛が再燃した。しかもなぜか私は喘息も新たに患うことになった。腰が痛くて、眠れない。そうじゃない日は喘息の発作で眠れない。妊娠してるから薬も飲めない。腰の方はピップエレキバンを貼りまくったが、喘息は耐えるしかない。この時はやっぱり喘息の方が深刻だった。何しろ息ができないから。妊娠後期からは気管支拡張剤を服用することになった。

一人目を産んだ後、1年ほどで次を妊娠。この時も腰痛と喘息に見舞われる。そのうえ、上の子を抱いたまま実家の浴室で転んだときお尻をしたたかに打って、本当に痛かった。今思い出しても寒気がする。

実家に帰っても何もいいことがないのに、この年までは律義に里帰りしていた。1歳の長男を抱えて妊娠5か月。相変わらず母は仕事で家にいない。帰るといたずら盛りの息子をうるさそうに遮る。まだつわりの残っていた私はお尻の打撲も加わって予定を早く切り上げて自分のうちに帰ってしまった。

実家に帰れば食器洗いや洗濯をやっていた。でも帰ってくると「何しに来てるの」と母から言われる。電話をすると「何の用?」今から思うと、なんでこんなことを疑問に思わなかったのか不思議だ。

二人目の赤ちゃんの首が座って、動かせるようになった時、その子を見せるために実家に向かう移動中、不意に私は涙が出てきた。そして夫にもう帰る、と言った。帰る、とは夫と子供のいる家のことだ。母の家はもう私の家じゃない。

近くの公園で長男を遊ばせている夫を、下の子を抱いて眺めながら、私はすごい解放感に浸っていた。冷たいことばかり言ってくる人に会わずに済むんだ、と思って。

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