また出た、シンキロウの失言。つける薬がない、ていうやつ。もうこんな場面、何度見てきたか分からない。オンナはこうだから、オンナはこれだから困る、オンナ同士はどうたら、こうたら。上から目線。男同士にしか分からないという体で女性蔑視を共有することで生まれるエセ連帯感。

森喜朗も菅首相も大同小異だ。日本の偉いと言われる爺さんたちはどいつもこいつもほとんど同じ。定年後も今度は自治会や趣味の集まりで偉ぶろうとする痛々しさ。どうしてこんな奴らが日本社会でエラくなったのか?それはねえ、たまたまだったのよ。誰かをエラくしないといけなくて、たまたまそこにいた都合の良い人物をその場所に据えただけ。だから本人の度量とか能力とかほとんど関係ないの。それが如実にわかるのがシンキロウの謝罪会見だ。

コイツは自分がどうしてその場にいるのか、どうしてその地位にいるのか分からない、とはっきり言った。謝罪会見の場で、「僕はどういう立場だったっけ?」とお付きの人に問いかけていた。

こういう風に、神輿に担ぎ上げられているのが偉い、という認識なのだ。それ以外にも頻繁に「私はそれを言える立場じゃない」「私が決めることではない。国民が決めることだ」「私はそういう風な話を聞いただけだ」などなど。自分の意見なんて、これっぽっちもないのだ。要するに、周囲が私を求めているから答えてあげてるんだぞ、というスタンスだ。だから妙にへりくだった言い方をする。そのくせ尊大で傲慢で独りよがりだ。

この老害を利用している人間がたくさんいるに違いない。それは、五輪の精神と言われているものとは程遠い、カネとか、カネとか、カネのために動いている人たちだ。だいたい、五輪の精神とやらも怪しいものだ。

私はスポーツは贅沢品だと思っている。コロナのことでエッセンシャルワーカーがどうのこうのとか言われているけど、コロナがあったってなくたって、日々の生活を支えている仕事は常にあった。食糧生産と流通、育児、介護、医療、生活環境を整える仕事。エンタメとスポーツは生活上、必須ではない。必須ではないけれど、価値のあるものではある。でもやっぱり必須ではないと思う。スポーツ選手やエンタメで活躍できる人は石ころの中の宝石だ。でも宝石がなくても生きていける。

オリンピック競技を見ると、同じ人間とは思えない素晴らしい技術や能力を見ることができる。でもそれ、私にほとんど関係ない。未知のウイルスが蔓延しているこんな状況で無理してやるほどの事か?「どんな状況でもやる」って、その強い決意は誰の、そして何のためなんだ?

たぶん、カネでしょ。

シンキロウはたぶん、自分のためだ。神輿に担がれているという意識でしか自分を保てない哀れな老人。

ところがこいつのためにどんだけたくさんの税金が無駄になったことか。

そして今度は世界中の女性の反感を買っている。

シンキロウ個人の問題ではなくて、こんな奴をのさばらせてきた日本社会のせいだ。老害を利用してきた中には女性もいたかもしれない。でもそうしないと生きていけなかったのだ。

女性は体力的に男性よりは弱い(人が多い)。そして、妊娠、出産、育児には人手がいる。絶対に一人ではできない。だから(たぶん)両性の役割分担ができ、コミュニティをつくってきた。

白人は黒人を差別する。日本の男は日本の女を差別し、自分の下に置こうとする。ヨーロッパでも、アフリカでも民族によって差別がある。キリスト教徒はモスリムの人々を差別する。シーア派とスンニ派はお互いに反目する。嗚呼。

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