今朝の新聞にイライラした記事がもう一つある。
読者の投稿欄には市民の思いがつづられ、感動することも多い。
しかし、中国新聞に限ったことではないのかもしれないが、高齢者の親についての思い出話がものすごく多い。
いい年して、なんだ、と思う。親の思い出をわざわざ投稿するくらいだから、一見うるわしい話だ。
ただの記憶じゃん。それ以上でも以下でもない。
私にはいい親の思い出はすべて自慢話だ。
たまたままともな人間のもとに生まれた、と言うだけで、それが美しい話になる。どんなに年を経ても。
じゃあ、と、親からひどい目に遭った話をすると、たいていはこう言われる。
「何年も昔の話をいつまでもするな」
美しい思い出が年を経るほどに美しくなるように、ひどい目に遭った記憶も鮮明になる。
先日も、夜通し飲み歩いて、その間二人の子供を車に乗せたままにして死なせてしまった事件があった。
新しい恋愛の前には子供なんて、過去の遺物なのだ。
新しく、群れのリーダーになったライオンのオスは、まえのリーダーの子供をかみ殺すという。人間だって、そういう動物の本能を持っていると思う。そこを踏みとどまるのが人間の社会性じゃないのか。都合よく母子本能とか言って母親だけに子育てを押し付けると、こうした事例がもっともっと起こるだろう。今までだって起きてるし。
私の母親は、私が子育てで悩んでいるときに、「野生動物は、大きくなった子供の面倒なんか見ないのよ!いつまでも、うるさい!!」と怒鳴り散らした。私は、怒鳴ったりはしないけど、こう思っている。「野生動物で親の介護をする者はいないよね…」。