著者 小川洋子

小川洋子が、さまざまなことを見聞きして編み出した不思議な8つの世界。

表題の短編は、銭湯にいつの間にか現れ、母親が入浴している間、その赤ちゃんの面倒を見てあげる小母さんの物語。

小母さんは、赤ちゃんにしか聞こえないくらいかすかな音で口笛を吹く。自分自身の赤ちゃんは持たず、銭湯にやってくる若いお母さんたちのためにほんのひと時赤ちゃんを預かってあげる。お母さんたちは、安心して入浴することができる。

誰かのために働くひとだ。我が子を抱いたことはないけれど、小母さんはどんな赤ちゃんがきても心を込めて面倒をみる。迷子になったちいさい子を助けることもある。迷子が迷い込んだのは、銭湯の壁に描かれた森の中だ。そこは、小母さんの住む可愛らしい小屋とつながっている。

いつも赤ちゃんと母親のために働いているのに、小母さんは神様に許しを乞う。面倒をみた赤ちゃんがかわいくて、母親が戻って来なかったら、と思わず夢想してしまうときがあるからだ。そんな気持ちに小母さん自身が驚き怖れている。

神様に許してもらうためにも、小母さんは一生懸命に働く。自分にもやってくるかもしれない幸福に目もくれないで。

他の短編も、幼い男の子が子供時代を卒業する直前の、小さなことだけど本人にはとても印象的なできごとを綴ったものがある。

小さい頃の、現実がまだオブラートの向こう側にあるようなはっきりしないものだったころ、あとからなつかしく思い出す事柄がだれにでもある。それは大事件でもなければ重要なことでもない。

または、語り手がごく普通に過去の思い出を語っているかと思っていると、思いがけず語り手自身の存在もあるのかないのかわからなくなってくるような、足元がずれるような感覚を覚えるものもある。それまで語られてきた人物のイメージがその一文で突然変わり、いわく言い難い不気味さを残す。短いお話なのに、最後の数行でぞくっとするような毒気が用意されていたりする。

どのお話も不思議で静かなだけじゃない小川洋子らしさが漂っている。

おすすめの記事