原稿零枚日記

著者 小川洋子

小説家の日記という体で書かれた掌編集。

のっけから違和感満載。

九月のある日(金) 長編小説の取材のため宇宙線研究所を見学し、F温泉に泊まる。

長編小説と宇宙線研究所…。ぜんぜんつながらない。

でも、そうか、小川洋子は数学の小むつかしい数式やチェスの棋譜から美学を見出し、小説にする人だった。博物館や古びた商店街からあの世とこの世のあいまいさを描く人だ。宇宙線から恋愛小説とか書くこともできるのかもしれない。

そんな小川洋子本人をほうふつとさせる書き手はF温泉で苔料理を堪能したり、雑誌社の取材を受けたり、あらすじ教室の講師を行ったりしている。小説家としてまっとうな活動もしているようでいて、周囲の状況がどうも変。本人もちょっとおかしい。

タイトルにあるように、各日付の最後には、その日に仕上げたらしい原稿の枚数が記されているが、ほとんどの日が零枚で、最高でも十八枚だ。とても長編小説を仕上げているとは思えない。

書き手のもとへは役場から「生活改善課」のRさんがやってきて、ものすごく上から目線で彼女に生活状況を報告させ、改善点を指導する。何を改善すべきなのか良く分からないが、描かれている内容はプロの小説家に対してちょっと余計なお世話なことばっかりだ。…このRさんは、小川洋子の心の声なんじゃないかなあ。彼女は自分ツッコミを常日頃行っていて、けっこう苦しいんじゃないだろうか、などと思ってみたりする。

初めのうちは、いつもの通り、なんだか違和感ばっかりで入り込めず、このヘンな女の人は小説家としてちゃんとやっていけてるのかしら、そもそも人間としてちょっと頼りないひとのようだし、ヘンなこだわりばっかりでついていけないわ、などと思って読んでいた。

ところが、ふと気が付くと、彼女の妄想のような世界にどっぷり浸かっている。妄想とももはや感じていない。

彼女はあちこちで自分が部外者であることを感じている。一緒に出掛けていた人たちがいつの間にか自分抜きで楽しんでいる。健康ランドスパでの振る舞いが正しいかどうか不安に思っている。ツアーの同行者がいつのまにかいなくなる。そして、あえて部外者であることを味わいに行ったりする。その方法がまたかなりヘンだ。

家族であれ他人であれ、人と一緒にいることで安心したり不安に思ったりする。その場に自分が存在していていいものかどうか、無意識にいつもチェックしている。自分の家だから、お金を払っているんだから、友達がいるから、と納得できる理由を確かめている。それがなかったり、あってもそれに自信がないと、いわゆる「いたたまれない」思いをする。

書き手はまた、赤ちゃんについても特別な思いを持っているらしい。入院している母親を見舞うついでに、同じ病院の産科に行って、新生児室を観察したりする。これをまた「赤ちゃん荒らし」などと名付けている。そして、自分と同じように親族でもないのに新生児室を見に来る荒らし仲間を見分けられると思っている。

たぶん死が間近に迫っているであろう母親と、新生児室の赤ちゃんたちは対極にいる。自分自身の赤ん坊や孫がいるならいざ知らず、そんな状況で幸せそうな赤ちゃんやそのお母さんたちを見るのはむしろつらさに拍車をかけるんじゃないか。でも彼女は新生児室へ通ってしまう。

終盤にかけて書き手の妄想世界はどんどんこちらの頭を侵食する。おしまいの方で作者が「やられた!」と叫ぶシーンがあるのだが、やられたのはこっちだ!と言い返したい思いでいっぱいだ。

執筆に行き詰っている小説家の日々をも小説にしてしまう…。恐るべし、小川洋子。それとも、作家ってみんなそうなのか…?

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