10月からまた働き始めた。

性懲りもなく、まえの職場の違う部門。大学の実験助手として。

その前は、事務職だった。理系学部ではあるけど、職務の内容は実験系とは異なっていた。それでも、理系の大学院を出て、メーカー技術者として働いていたので、実験室や大学の研究室の様子は懐かしかった。そういうところで再び働けることはとてもうれしいことだった。

ところが、上司に当たる研究室の先生と全く合わず、結局最後は物置に追いやられ、任期満了と言う名のもとに首になった。

このことは、夫も知っているし、私がどんな状況に置かれているのかも実際に見て知っている。

正直、朝起きるたびに結構つらかった。フルタイムではないとはいえ、一日のうち数時間を誰もいないエアコンもない部屋で真冬に過ごすのはつらくないという人の方が珍しいと思う。ホテルみたいにきれいな部屋でもなく、文字通り、物置だったし。

数か月前の中国新聞に、上司のパワハラで正職員にもかかわらず宿直用の畳部屋を職場にされた人の話が載っていた。これは、私のケースと似てるよね、と夫に話しかけたところ、「正職員とあなたとでは条件が違うでしょ」という答えだった。

そうだろうか?

そんなことは絶対にないと思う。働きたい、自分の時間を使ってお金をもらうからにはそれなりのことを誰でも思うはずだ。カネはやるから(ほんとはやりたくないのは分かり切っているが)そこでじっとしてろよ、と言うのはほとんど暴力だ。支払う給与の額なんか、関係ない。

気に入らない従業員に対して行うこととして、最低だと思っている。あのような状況で思ったのは、人を使う側の品性が如実に表れたことだったな、と言うことだ。今でもその上司に当たる人間は大学の教職員として勤務している。私自身が退職したのと前後して様々な問題を起こし、研究室から学生が全くいなくなったことは、そういう人間性が他の場面でも表れていたということだろう。しかし、大学の、特に人事の問題は決して学外には漏れないようにできている。

で、大学の職員に再びなったわけなのだけど、その理由の第一は腰痛が治ったことだ。第二に好奇心。大学の先生の誰もがあんなひどい人間なのか?もしかして私だからあんな目に遭ったのだろうか?

やって後悔するよりやらないでする後悔の方が辛いという。人生は長いようで短い。もしまたパワハラに遭うことがあったとしても、それがどうした、という気持ちも強いのである。もう50代も半ばを過ぎた。残りの人生の方が短い。再就職できたとしても、普通に勤務できるのは長くても5年だろう。そう思うとやりたいことはやってみればいいじゃん、と言う気持ちになった。

今のところ、大過なく過ごせているが、何しろ大学の研究室と言うところは狭い世界だ。自分は家庭もあるし、年も取っているから研究室なんて、いかに狭い世界か知っているけど、そこしか知らない若い研究者の卵たちは純粋培養で危なっかしい。一つの失敗で頭を抱えているようなことがありがちだ。また前に起こったようなことが生じても全く驚きはしないだろう。

でも、少し違う場所に身を置くというのは面白いことだ。具体的な暴力とか、意地悪とかがなければ支払われる給料の額なんてあんまり問題ではない。

それに、30年たっても実験手技を覚えているのに自分でも驚いた。若い頃に身につけた習慣はほんとに大事なんだな、と思う。それを生かせる職場に身を置けるということがどれほどうれしいことか、たぶん誰にも分からない。自分の能力をまた生かせることができるなんて、幸せ以外の何物でもない。

どういう終わり方をするのか、終わってみないと分からないが、再就職にチャレンジしたこと自体はよかったな、と思う。やりたいことがあれば、やってみれば、と人にも言えるようになったかな。

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