人生はどこでもドア  
フランス語どころか英語もそれほど堪能ではない(本人曰く)著者が、単身フランス リヨンの民泊を利用して14日間滞在した記録。 著者は新聞記者を50歳で退職した物書きさん。未婚独身子なし。そんな著者が東京での暮らしをそのまま海外でもやるぞと挑戦する。 朝、できるだけ早く起きて、白湯を一杯飲み、ヨガを行う。食事は自炊。物書きさんなので、仕事はパソコンに向かって文章を綴ること。PCの電源さえあれば自宅でできるけど、著者はあえて自宅では仕事しない。ご近所のカフェに出かけて行ってそこで仕事する。午前中3時間、午後3時間。 なんて、素敵な生活。これだけで憧れてしまう。それなのに彼女はその生活を海外でもできないかと模索する。東京でできるだけでも十分素晴らしいんじゃないか?ちょっと贅沢すぎるんじゃないか? 著者を突き動かしているのはあくなき好奇心(だと思う)。海外旅行を何度もしているにもかかわらず、なんだか満足できない。いろいろと調べて、有名な観光スポットには一通り行ってみたのになんだか疲れた記憶しか残らない。どうしてだ?著者は自分の過去の旅行体験を分析し、それは結局自分自身が求めていたことではなかったのだ、と結論づける。じゃあ、私は海外に行くことに何を求めているのだろう? それは普段の生活だ。東京で行っている生活を、海外でもできるのか?やってみたい。きっと、できる。試してみないことには気が収まらない。50代になって人生も折り返し地点を過ぎた。もうためらっている時間など、ない! その気持ち、すごくわかる!! だけど、私にはそんな度胸など全くない。でも他人がやってみるなら結果を見たい。そんな私の好奇心に応えてくれたこの本。著者に感謝します。 著者稲垣えみ子さんは元朝日新聞記者。原発事故をきっかけに自炊をし、銭湯を利用し、冷蔵庫を使わずテレビを見ない。彼女の東京の普段の生活とは、食材を自分で選んで自分で料理したものを食べ、近所のカフェで物を書き、それを依頼者に送り、報酬をいただくこと。それを海外でもできるかどうか、最初の挑戦の記録がこの本だ。 著者は準備もあんまりしないと書いているが、無謀とは全く違う。とりあえず航空券は最初に用意してしまうが、宿泊先はネットのエアビーを利用して準備する。まあ、それはそうよね。リュック一つ背負って飛び出してゆくバックパッカーさんもいるけれど。この辺の大人な対応も同世代としてすごく参考になる。もちろん民泊なんてする勇気はないけれど。 著者はおっかなびっくりながらも14日の間にリヨンの街になじんでゆく。日記のように1日のできごとを綴ってその経過をていねいに教えてくれる。天候の悪化で飛行機の到着が大幅に遅れて、初日からあたふたしたこと。Wifiがつながらなくて海外での人とのつながりがそれ頼みであることを痛感したこと。 けれども著者が繰り返し綴るのは、自分がいかに人の笑顔と喜んでもらえることを求めているかということだ。 初めての土地(しかも言葉の通じないところ)で一人ぼっちでいる時に、見知らぬ人からの笑顔がどんなに大事なのか想像にかたくない。行きずりの物乞いらしいおじさんからの笑顔でさえ心を動かされる。 そう、笑顔。これ大事。だけど、私も海外でちょっと感じたことがあるのだけど、やたらとニコニコしているとバカにされることもある。日本でも同じかもしれない。尊重されたいけど、敬遠されるのもつらい。特に一人でいるときは。この辺の兼ね合いは人間世界ならどこでもいっしょかもしれない。国の違いだけではなくて、職場、地域などのコミュニティーによっても微妙に違う。 著者のように生活者としてかなりのツワモノでもはじめはおっかなびっくりでカフェの店員やマルシェのオジサンたちに冷たくされていると感じるだけでいろいろと考えている。私なんか、たぶん同じ状況でもなんも感じないだろう。欲しいものを買うだけでもたぶん必死の覚悟だ。で、店員さんの反応なんて気が回らないに違いない。 でも彼女は違う。モノを売るという人々の立場を考え、そのような人たちがいることで成り立つ暮らしに思いをいたす。少しでも安く買い物できればそれでいい、という態度を考える。 彼女の結論がすべて正しいとは限らないけど、考え方がとても好きだ。 14日間の滞在を締めるにあたって、著者はお世話になった人々への感謝の思いを彼女なりの表現で残しリヨンを後にする。たぶんこれでリヨンとはお別れだ、と思った時に感謝の思いがこみ上げるなんて、いい経験をした証拠なんじゃないか。 だれだって、おひとりさまになる。今配偶者がいる人も子供がいる人もいずれは一人になるときが必ず来る。だって死ぬときは一人だもの。ただ自然に返るというだけのことかもしれないけど、そこは人間世界に生まれたのだからいかに人と関わるのかということが生きている間はずっと離れない。孤独死になったとしても、その後片付けをする人が必ずいるものだ。人は死んだ後も人のお世話になる。 おおげさかもしれないけど、人とのかかわり方のひとつを教えてくれるこの本と著者に感謝します。実践できるかどうかはわからないけれど。だって、私が私であればいい、という境地が自分にとってはかなり難しいことだから。
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