ミーナの行進

著者 小川洋子

1年間、伯母の家で暮らすことになった朋子。そこは、朋子がそれまで見たこともないような邸宅で伯母の夫である伯父はドイツ人とのハーフ。美しいいとこの美奈子(ミーナ)と伯父の母親であるドイツ人のローザおばあさん。お手伝いさんである米田さんや庭師の小林さんがいる。

中学1年生から2年生になる1年間、朋子は彼らとともに生活する。ハンサムで優しい伯父さんはなぜか長い間留守にする。ミーナの兄である龍一さんは、スイスに留学中で家族みんなにあてて手紙をくれるのに、なぜか父親にだけは手紙をよこさない。

優しい人々に囲まれて、それまでに経験したことのない贅沢な暮らしができるのに、ミーナが病弱なことやなぜか留守ばかりの伯父さんのことがかすかに不穏な気配を漂わせている。

これまで小川洋子の小説をいくつか読んできた。一人の作家の作品を通して読むと、共通するモチーフがあることが多いのだろうか。この場合、異国から嫁いできた女性、というものがある。その人は、作中ではもはや数十年にわたり故国から離れて日本に暮らしている。確か、「貴婦人Aの蘇生」がそうだった。

そして、動物。この作品では、コビトカバのポチ子。

ポチ子も遠いリベリアから連れてこられて一生のほとんどを異国の狭い池で暮らしている。おとなしいポチ子は池の周りでうろうろしている以外はたいてい寝ている。夜行性のためか、朋子は夜寝られない時にポチ子の動く音に気が付くのだが、そんな時にはなぜかポチ子が悲しみに打ちひしがれているように感じてしまう。

ポチ子は、病弱なミーナのために、ミーナを背中に乗せて小学校まで運ぶという役目を果たす。カバに乗ったミーナ、ポチ子を先導する小林さん。これが「ミーナの行進」だ。

この小説には誰も悪人が出てこない。けれども小川洋子の小説がほとんどそうであるように最初から死の気配と言いようのない悲しみを感じる。ポチ子はみんなにかわいがられてミーナのために尽くし、穏やかに暮らしているけれど、それはポチ子の望んだことではない。小説の最後で、朋子はポチ子のために涙を流す。カバとしては長生きをしたかもしれないけれど、穏やかに暮らしてはきたけれど、ポチ子の生涯に哀しいものを感じたからではないだろうか。

ポチ子を失ってから、ミーナは敢然と一人で学校に通うようになる。ポチ子からの独立だ。別れの寂しさや悲しみを通過してその先へ進んでゆく。もしかしたらもうとっくにその準備はできていたのかもしれない。別れなければならなくなって初めて、それなしでも生きられることが分かることもある。ポチ子は死んで初めてそれをミーナに知らせることができた。逆に言うと、死なないとわからなかったことなのか。死ぬということはそういうこともあるのかもしれない。

思春期の初めのころの夢のような一時期。幼児の混沌としたした世界から、硬いなにかの秩序のある世界に移行するとき、朋子とミーナは世界を共有する。大人でもないけど、もはや子供でもない。現実を空想の世界を行き来しながら二人は少しずつ大人になっていった。こんな風に思春期を過ごせたら、その後の人生で思い返すとき幸せなんじゃないだろうか。小説を読むことで自分もその幸せを味わえればいいと思う。

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