ブラフマンの埋葬

著者 小川洋子

これはペットロスを味わったことのあるすべての人のための物語だ。

タイトルの「埋葬」というのは、何かを象徴する言葉かと思っていた。「ブラフマン」という名前もなぜか数学者か哲学者の名前かと勝手に思い込んでいた。ところが本当にブラフマンという名前の小さな動物をひと夏の間飼って、死んでしまい埋葬するまでの話だった…。

まだペットロスを引きずっている自分にはきつい、と思って読むのを止めようとしたが、短いお話だし、結果がわかるようなタイトルを付けたのはそれなりに理由があるはず、と思い直した。

ブラフマンは生まれたばかりの時に語り手である「創作者の家」の管理人に拾われる。彼はブラフマンという名前を付けて世話をしていっしょに眠る。愛情を込めているのがよくわかる。劇中劇のようにブラフマンの観察記録が付記されている。自分も長年猫を飼っているけれど、こんなに注意深く猫を観察して記録に残したりしていない。

ところが管理人である飼い主は肝心なところで自分の方を優先してしまう。自分の好きな娘の頼みごとを断り切れないで、そのためにブラフマンを死なせてしまう。その娘は、他に好きな男性がいて管理人さんのこともブラフマンのことも少しも好きになってはくれないのに。

この管理人さんは孤独な人だ。創作者の家で、自分自身は全く創作しないでこの家に滞在する芸術家の世話に明け暮れている。自分を表現することはない。一人で暮らして、滞在者の要求に応えるばかりの生活。仕事だから当然かもしれないが、自分を全く出さない生活って、孤独なんじゃないだろうか。全く縁もゆかりもない人々の家族写真を自室の壁に飾って、その人たちも彼らの家族も今はみなこの世にいないだろうと思い安らぎを感じている。そんなことがやすらぎになるんだろうか。 ブラフマンは唯一の家族だ。でも、憎からず思っている娘のためにブラフマンを失う。娘はブラフマンのお葬式にさえ顔をださない。

管理人さんのことを責められない。どんなにかわいい存在でも、恋愛の方が優先順位は上だと思う。そのためにブラフマンが死んでしまっても仕方がなかった。悲しいことに変わりはないけれど。

タイトルに埋葬とあるから、ブラフマンを育てていく過程でも読み手は終わりを意識させられる。自分がつい最近17年飼っていた猫を亡くしたから余計にそう思うのかも。赤ちゃんのブラフマンがトイレを覚え、部屋のいろんなものを齧りながら成長していく。管理人さんの愛情も増していく。読者にはその終わりが見えている。他にもこの物語の周囲にはたくさんの死が感じられる。ブラフマンと管理人さんの愛情と周囲の景色がこの上なく悲しくて美しい。終わりが見えているから余計にそう感じる。

ブラフマンの観察記録は埋葬の様子の描写で終わる。淡々と事実を並べているだけなのに、涙が出てくる。

「何度なでたかわからない額をもう一度なでる」

ペットを見送った人ならみんなそうしたと思う。悲しくて仕方ない。かわいい存在がいなくなって、喪失感に耐えられない。

管理人さんはブラフマンを失ったあとどうなるんだろう。ブラフマンの埋葬の際、創作者の家に滞在するいろいろな人が参加している。創作者たちとは個人的な交流は持たないようにしてきたけれど、ブラフマンを嫌っていたらしい人も埋葬に協力してくれた。だからブラフマンは何かを残してくれたように思う。

ブラフマンと一緒に暮らしていることを知った二人の女性が対照的だ。管理人さんの思い人である娘も、創作者のひとり高齢のレース編み作家もブラフマンをよく思っていなかった。でも埋葬の際に正反対の態度をとる。娘は自分がブラフマンをひき殺したにもかかわらず顔も見せない。ところがレース編み作家は一日でブラフマンをくるむだけのレースを編んでくれ、埋葬にも参加してくれた。この違いは何だろう。長いあいだ生きてきた人は亡くなったものをしのぶ気持ちに寄り添ってくれるけど、恋愛に夢中な若者はそうじゃないということか…。

この物語は、すべてのペットロスたちへ書かれている。ブラフマンは犬でも猫でもインコでもない。だから、そのどれにでもなりうる。動物を可愛がり一緒に暮らして、そして見送らなければならなかった人たちのすべてがブラフマンにその面影を感じるだろう。

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