ティファニーで朝食を

言わずと知れたオードリーヘップバーンの代表作。学生時代から何回か見ている。今回はネットフリックスで見かけて久しぶりに鑑賞した。

見始めてすぐに昔とは違った感想を抱く。オードリーヘップバーンはいつ見ても美しい。しかし、やせすぎじゃないか?それはまあ、細いことが特徴の女優さんではあったから、こっちの好みが変わっただけだ。問題は内容についてだ。オードリーの美しさ、愛らしさに目がくらんで画中の彼女が何をしていても素敵に思えたのに50代の今は何一つ素敵に感じない。しょっぱなからこの細身の美女がいかがわしいことで生計を立てているらしいことがわかる。彼女が一声かけるとおびただしい人数の人が狭いアパートに集まってくるけど、本当の友人はいるのか疑わしい。部屋もなんだかがらんどうで生活感が全くなくて寒々しい。毎週刑務所に面会に行ってそのたびにお金を弁護士(と称している人物)からもらっているが怪しさ満点だ。本人は気の毒なおじさんを慰めているつもりらしいがとんでもないことに巻き込まれていると誰でも想像する。

こんなフワフワ生きてる女子が出会う相手役も感心しない生き方をしている。一見かっこいい若い男性だが、金持ちのマダムの愛人だ。一回寝るごとにマダムは大金を置いていく。彼は本業は小説家だが、新人賞を取ったきりまともな著作を出していない。

もう、出だしは感心しないことだらけだ。こんなにひどい登場人物だったっけ?それでもオードリーのファッションは素敵の一言に尽きる。大きな帽子の下からみえる小さい顔。細身の体にフィットするドレス。寝起きなのに全くスキのないメイク。ぼーっとしながら支度してるのにみるみる美しく変身していく。これはやっぱりオードリーの着せ替えを楽しむ映画なんだ。

ドレスは確かジバンシィ。いわゆるハイファッション。お話が終盤になるころ、突然ものすごくカジュアルな服装になる。結婚することが決まって、落ち着いた生活になり、アパートで編み物なんかしているシーンでは、シンプルなパンツ(サブリナパンツ?)にゆったりしたセーターを合わせている。髪も二つに分けて愛らしいことこの上ない。だけど、やっぱりやせすぎだ。鶏ガラみたいだ。若いころ、こんな風になりたいと思っていたことを反省する。どっちみちなれなかったけど。ならなくて、よかった。

この若い二人が一緒に悪いことをして両想いになる。(表現が古臭いけど、他に言いようを思いつかない)悪いことって、万引きだ。もう、オバちゃんとしては目を三角ににして叱り飛ばしたい。でもこれは秘密を共有してきずなを深めるっていう愛の手順のひとつかな。

ところが、せっかく結ばれてポールの方は幸せいっぱいなのに、ホーリーの方は急に冷たくなって南米に行くとか言い出す。パーティーで知り合った南米の大金持ちと結婚するらしい。

この結婚が先に述べたうかつな刑務所訪問のせいでダメになった時、ホーリーは再びフルメイクとブランドファッションで男性を捕まえようとする。その時には小説家は本気で彼女を愛していることに気が付いていて、本業の文筆業でも成果を出しつつあった。

彼の言葉で主人公のホーリーは目が覚める(らしい)。素直に彼の愛を受け入れて、ハッピーエンド。

そうなのか?まあそうなんでしょう。でも、この時代、何の特技も後ろだてもない女の子が経済的に自立しようと思ったら、お金持ちの男性を捕まえるしかなかったんじゃないか。ポールは小説を書いて自立できたけど。マダムとも決別したし。メキシコでお金持ちの男の人を捕まえるよりはずっといいかも。

本当に好きなポールを受け入れることは自由を奪われる、という解釈だったのかな。お金だけで捕まえる男の人達には愛情がないから、いつでも取り換え可能。それが自由ってこと?

最後のシーンでたいていの女子は感動してああよかったと涙するのかも。私はこのお話ちょっとわけがわからなかった。タクシーから降りる際のポールの言葉でお互いに自由を失っても一緒にいることが人生なんだ、みたいな意味があったと思うけど、この年齢になってちょっと共感した。昔は全く分からなかったけど。

他にも映画の中で理解に苦しむところがいくつもある。

14歳で結婚するとか(児童虐待じゃん)。日本人らしいアパートの管理人さんの過剰にみにくく見せている設定とか(人種差別)。女性客もいるのにストリップを上演しているお店とか(セクハラ)。兄が退役して帰ってくるとどうして妹が養わないといけないのか(兄はひきこもり?)。時代も違うからか突っ込みたくなるところがいくつもある。私の気が付いてないことがまだまだたくさんあるのかな。

定番の名作でさえ、ナナメ下から見るような感想しか抱けなくなっている。年を取るって面白いものだ。

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